第17話「血の代価」
「遥か古より天地を統べし闇の王よ、今、全てを呑み込む漆黒の闇の底より出で、我と盟約を交わしたまえ!」
呪文を唱え終わると同時に、ぱんっ、と勢いよく両手を合わせる。すると、合わせた両手から黒い歪みが生じ、コクと一本の線でつながった。
それに伴い、コクにも変化が訪れる。鋭い刃となっていた両手が、二本の剣に。身体が大きく膨れ上がり、やがて黒い重厚な鎧をまとった騎士の姿に変わっていく。やがて変形を終えたコクは、ずん、と一つ大地を踏み鳴らすと、大気全体が震えるような低い雄たけびをあげた。
「な、何だあれは……?」
エレメンタルの変形を初めて目の当たりにしたアイスクルが驚きの声を漏らす。他の者達も、その光景に息を呑んだ。
「貴様は一体……?」
これにはさすがの真紅の騎士も驚きを隠せなかったのか、戸惑いの声をあげる。ダンは合わせていた両手を離すと、右手で真紅の騎士を指差した。
「やれ!!」
その言葉と同時に、コクが先程とは比べ物にならないスピードで真紅の騎士に向かっていった。炎の剣と、コクの持つ二本の剣が交錯する。真紅の騎士は相手を押し返そうと腕に力をこめたが、コクは一歩も引かずにそれを押し返してきた。
「ぬぅ……!」
「ぐぅぅぅ……!」
力はまったくの互角。地面を強く蹴り、この戦いで初めて、真紅の騎士が逃げの後退をする。それを見逃さず、コクは猛追した。
二人の剣が幾度となくぶつかり合い、火花を散らす。だが、どちらの剣も相手に届くところまでは至らなかった。
「すげぇ……互角じゃねぇか……」
ソロンが思わず声を漏らす。アルサル達4人が敵わなかった相手に、彼はただ一人で対抗している。アルサルとエミリアも、ソロンと同じ気持ちだった。だが、
「……あのエレメンタル、何かおかしい……」
そんな中、アイスクルだけはコクを見つめて、一人怪訝な表情を浮かべていた。
「おかしい? 何がだ?」
「動きがなめらか過ぎる……普通、エレメンタルにあんな細かい動きはさせられない。それに……」
そこまで言って、今度はダンに視線を移す。
「あのダンとかいう奴、だんだんと息が上がってきている……」
アイスクルの言葉で、他の者達もダンへと視線を移す。彼の言うとおり、ダンは立ったまま肩で息をしていた。
「あんだけ激しく戦ってりゃ、無理ないんじゃねぇか?」
「いや、サマナーはエレメンタルの召還時には体力を消耗するが、召還されたエレメンタルはもう別物だ。どんなに戦おうとサマナー本人とは関係ないはず。ということは……」
嵐のように続く攻撃をかわしながら、真紅の騎士がコクの肩付近に一発蹴りをお見舞いする。その瞬間、ダンが顔をしかめたのを、アイスクルは見逃さなかった。
「見ろ、やっぱりだ! 原理はわからないが、ダンとコクは直接つながっている」
「エレメンタルと直接!? 待てよ、ってことは……」
アイスクルはソロンに向かって一つ頷いた。
「ああ。もし、コクがやられちまうようなことがあれば、ダンも……」
こうして会話をしている間にも、二人の攻防は続いていた。実力は拮抗し、まさしく一進一退。だが、真紅の騎士は依然として疲れを見せないのに対し、ダンはさらに息が荒くなり、額からは汗を滲ませていた。
「くそっ……化け物か、あいつは!」
それを見たソロンが苦々しげに言う。アルサルもぐっと唇をかみしめた。
「ダン! 一度退くんだ!」
ふらふらの状態でなんとか立っているダンに向かって叫ぶ。だが、
「……断る……」
ダンはすぐに首を横に振った。
「ダン、聞いてくれ! 君が奴に復讐したい気持ちは俺にもわかる! だが、その復讐は無意味だ! 何も戻っては来ないし、気持ちが晴れることもない。だから……!」
「そのくらいわかっている!!」
アルサルに負けじと、ダンも叫び返した。
「こいつを殺しても何も戻ってきやしない! だが、ならば、この憎しみはどうすれば収まる!? 父さんと、母さんと、村の人達が流した血の代価は、一体誰が払うんだ!? 諦めろというのか。耐えろというのか!? そんな事が、許されていいはずがない! 俺はこいつに払わせてやる、血の代価をな!!」
そう言い切って、視線を真紅の騎士へと戻す。敵は、予想を上回る強さだった。このままでは、自分は勝てないかもしれない。アルサルの言うように、一度退いた方が賢明だろう。だが、身体は反応してはくれなかった。普段ならそう長くは続けられないこの状態も、身体の底から湧き上がってくる怒りと憎しみに後押しされている。
もう、止められない。
誰も、俺を止めることなどできない。
こいつに払わせるまでは。
―血の代価を
「コク、そいつを殺せぇぇぇぇ!!」
力の及ぶ限りに、そう叫んだ。
その声に反応して、コクが真紅の騎士に向かって突き進む。そして、目にもとまらぬ速さで、二本の剣をなぎ払った。
ぴしゅっ、という音をたてて、鮮血が宙に舞う。コクの剣は重厚な真紅の鎧を突きぬけ、彼の左腕に食い込み、この戦いで初めて傷を負わせた。だが、
「っ……がっ……」
口から血を吹きこぼし、ダンが地面に崩れ落ちる。炎の剣に貫かれたコクは、やがて音もなく消滅した。
「ダン!」
アルサル達4人が、慌ててダンのもとに駆け寄る。うつぶせに倒れた彼の背中からは、じわりと血が滲んでいた。アルサルが素早く彼の脈をはかり、生死を確認する。
「大丈夫だ、まだ生きてる。早く医者に見せなければ……」
「それはそうだが、しかし……」
それには、まず敵をどうにかしなければならない。しかし、傷を負わせたとはいえ、真紅の騎士はまだ十分戦える状態なのだ。そう簡単に逃げられるとは思えなかった。
(くそっ……何かいい手はないか? 考えるんだ……)
極度の疲労で回らない頭を無理やり働かせ、何か策はないかと考えを巡らせる。その時、不意にエミリアがアルサルの服の袖を掴んだ。
「ねぇ、なんだか、様子が変だよ……?」
その言葉に、他の者達が一斉に真紅の騎士を見る。真紅の騎士は傷を負い、血が垂れ落ちる自分の左腕を見つめながら、ブツブツと小声で呟いていた。
「血…血……ち………チ…………?」
第17話 終