第18話「逃走・進行」

 

「何だ……?」

 様子のおかしい真紅の騎士に戸惑うアルサル。そんな中、アイスクルが最も冷静に現状を分析していた。

「ともかく、一度退かなければ。今がチャンスかもしれない」

 その言葉に、他の三人もすぐに冷静さを取り戻す。今は、ともかく逃げることだ。

「よし、それじゃあ……」

 ソロンが負傷したアイスクルを担ぎ上げようとした、その時だった。

「右に飛べ!」

 不意に、アイスクルが叫ぶ。その声に反応して、ソロンは瞬時に身体を右に投げ出すようにして飛んだ。その脇を、炎の剣がかすめる。ほんの一瞬でも遅ければ、ソロンの身体が真っ二つになっていたかもしれない。

 だが、この時アルサル達は、突然のこの攻撃よりもさらに驚くべき光景を目にしていた。猛烈なスピードで突進してきた真紅の騎士は、その勢いのまま岩壁に激突したのだ。

「なっ……!?」

 衝撃のあまり一度は膝をついたものの、すぐに立ち上がりこちらに振り返る。だが、彼から放たれる殺気は先程とは全く別物だった。鋭いナイフのような、冷たく相手を射抜く殺気ではなく、より凶暴な、野生的なものへと変化している。特定の相手に向けられたという感じではなく、まるで周囲に撒き散らしているかのようだった。

「コ……か…コ、コロ……みな……こ…カ……ガぁぁぁぁ!!」

 呂律の回らない、意味不明の言葉を発しながら、真紅の騎士が再び突進してくる。すさまじいスピードだったが、あまりに直線的な動きのため、かわすのはそれほど難しくはなかった。

 振り下ろされた炎の剣が、地面に派手な音をたてて突き刺さる。同時に、ぐきっ、と嫌な音が響いた。

「おい、あいつ……!」

 ソロンが真紅の騎士を指差す。右腕がぶらりとだらしなく垂れ下がっていた。

「肩が外れたんだ。あんな勢いで剣を地面に叩きつけたら、当然だ」

 真紅の騎士が左腕で右腕を掴む。そして、声一つ上げることなく右肩を元に戻した。

「やっぱり、何かおかしいぞ……あいつは」

 それを見たアルサルがぽつりと呟く。

「見りゃわかるよ」

「そうじゃない。初めからだよ。動きが普通じゃないし、痛みもまるで感じていないみたいだ……」

 呆れ気味に言うソロンに釘を刺しながら、アルサルはエミリアの方を向いた。

「だが、これなら逃げられそうだ。エミィ、手を貸してくれ」

 その言葉に、エミリアが無言で頷き返す。その瞬間、真紅の騎士が再び唸り声を上げながら襲い掛かってきた。

 アルサルとエミリアが二手に別れて後退する。真紅の騎士はアルサルの方を追った。

 負傷しているアルサルは、いつもよりスピードがない。真紅の騎士はみるみるうちにアルサルと距離をつめていった。

「コ……ごろ…し…じネぇぇぇぇ!!!!」

 真紅の騎士がアルサルを射程にとらえ、炎の剣を振り上げる。アルサルは前方に勢いよくダイビングしながら叫んだ。

「エミィ、今だ!」

 その声と同時に、真紅の騎士の頭上にある高台まで上っていたエミリアが、岩山の一角を切り裂く。切り裂かれた岩山の一部はそのまま重力に任せて落下し、真紅の騎士を襲った。

「がァ……!?」

 アルサルしか見えていなかった彼には、それを避ける術はなかった。あっという間に押しつぶされ、瓦礫の山に埋もれてしまう。なんとかそこから這い出ようともがいているようだったが、さすがにすぐには出られそうになかった。

「さぁ、今のうちに!」

 アルサルの言葉に従い、ソロンがアイスクルを、エミリアがダンを背負い走り出す。こうして、アルサル達は辛くも真紅の騎士から逃げ出すことが出来たのだった。

 

 

 同じ頃、イダーを出たカリオンとレインは、遺跡に向かうための小さな船の上にいた。

 イダーを出てから今まで、カリオンはほとんど言葉を発することなく、ぼんやりと流れる風景を見つめている。レインは何度か声をかけようかと考えたが、いまいちタイミングを掴み損ねていた。

 あまり話したことはなかったが、以前会ったときのカリオンはとても明るい人間だったように記憶していた。だが、今の彼からはそんな明るさは全く感じられない。もちろん、彼に起きた不幸はティアから既に聞かされていたのだが……。

「何?」

 視線に気付いたカリオンが、顔の向きは変えないまま尋ねる。

「え? あ、あの……」

 不意をつかれたレインは、思わずどもりながらも答えた。

「私が言うのも変だけど、元気出してね。ティアさんから事情は聞いてる。こんな時に無理やり連れてきちゃってごめんなさい。辛いよね。私もね、この間……」

「悪いけど、あんたの事情なんて興味ないよ」

 レインの言葉を遮って、カリオンはそっけなく言った。レインもすぐに口をつぐむ。容赦のない言い方だったが、こういう時に下手な慰めの言葉をかけられると、逆に苛立ちを覚えたのをすぐに思い出した。恐らく、向こうも同じだろう。

(失敗したな……)

 軽い後悔の念を覚えながら、一つため息をつく。だが、レインが声をかけたのは、何も慰めのためだけではなかった。

 イダーを出る時、レインはカリオンを頼もしいと感じた。今も、基本的にそれは変わらない。最年少でALTの資格を取得しただけあって、彼からは強い自信と信念が感じられる。仕事の関係上、数人のALTと交流をした経験があるが、カリオンが彼らにも劣らない力を持っていることはすぐにわかった。

 だが、それなのに、レインは心のどこかで不安を感じていた。何故なのだろう。流れる風景を見つめる彼の横顔が、どうしてこんなにも脆く見えてしまうのか……。

「着いたみたいだぜ」

 そう言って、カリオンが立ち上がる。いつの間にか、船は止まっていたようだった。

「色々言いたいことがありそうだけど、後にしてくれよな」

それだけ言い残すと、カリオンが先行して船を下りていく。

彼の言う通りだ。今は、目の前のことに集中した方がいい。

レインは小さく一つ息を吐いて気合を入れると、他の客に混じって船を下りていった。

 

第18話 終