第31話「騎士と魔獣」

 ルディロスにあるコルム大陸管理局。

国家を持たないコルム大陸の秩序を維持し、同時に他の大陸からの侵略を牽制する役目を担う重要な機関だが、その重要性に反して本部建物の敷地はそれほど広くない。

コルム大陸管理局本部は全部で三つの建物で構成されており、北のセントラルタワーに主要施設が置かれ、西と東にある一回り小さいタワーに情報部、治安部、交通部など様々な部署が集められている。それぞれのタワーは連絡橋でつながっており、三つのタワーの中心には緑豊かな中庭が広がっている。比較的気候の穏やかな春や秋には、中庭で昼食をとったり散歩を楽しんだりする職員たちも少なくなく、忙しい日頃の疲れを癒す憩いの場となっていた。

そんなコルム大陸管理局を現在運営しているのは、一人の女性。女性として初のコルム大陸管理局長に就任した、ティアである。

セントラルタワーの二階にある管理局長室の一番奥にある机に座るティアは、今日も山のような書類の束に次々と目を通しながら、確認の印を押していく。もともと要領のいい彼女だが、それでもこれだけの書類に目を通すのは一苦労である。

読んでいる書類の最後のページに目を通し、確認の証に印を押す。その際、肩にわずかな痛みを覚えたティアは、たった今読み終えた書類を山のように積み上げられた確認済みの書類の上にまた一つ積み、椅子から立ち上がると大きく背伸びをした。

首を大きく回し、二、三度左右に曲げる。コキコキ、と小さな音が鳴り、肩がこっていることを改めて実感したティアは、ふと壁にかけられた時計に視線を移した。

時刻は午後2時半。仕事を始めたのが午前9時からなので、かれこれ5時間以上座りっぱなしだ。肩もこるはずだ、と苦笑いを浮かべ、ティアはもう一度首を大きく回した。

元々彼女は肩がこりやすい方で、局長に就任する前から肩こりによく悩まされていた。それを思い出すと同時に、そんな時はよくレバンが肩もみをしてくれたことも思い出す。今、自分のやっている仕事は、元々彼の仕事だった。彼は度々ティアに仕事が大変だと泣き言を言っていたが、今ならその気持ちもよくわかる。

「……自分の方がこってるだろうに……」

 そんな中でも、ティアの肩もみをしてくれた彼の優しさを思い出し、胸が詰まる。喉まで出かかった嗚咽をなんとか飲み込み、ティアは再び椅子に腰かけて、仕事に戻ることにした。この部屋で休もうとすると、色々なことを思い出してしまう。仕事に没頭している時だけ、ティアはなんとか平常心を保つことができた。

「ティア様。今、よろしいでしょうか?」

 すると、仕事に戻ろうとしたティアが書類の束から一つの書類を取り出したその時、不意に扉の向こうにある廊下から女性の声が聞こえてきた。秘書を務めている職員の声だ。

「どうした?」

 ティアが手元の書類に目を落としたまま答える。

「例のお客様がお見えになっています」

 その言葉に、ティアは顔を上げると書類を脇に置いた。

「通してくれ」

「かしこまりました」

 そう答えると、お客を呼びに行った秘書の足音が遠ざかっていく。

 そして、しばらくすると別の足音が扉に近づいてきた。足音がやむとすぐに、トントン、と扉がノックされる。ティアが「入ってくれ」と応じると、すぐに扉が開かれ、その向こうから一人の男が姿を現した。

 男は蒼い炎のような装飾を施された重厚な鎧を身にまとい、その腰には一本の長剣を帯びていた。整った顔立ちをしているが、少し長めの前髪の間から覗く切れ長の目はどこか近寄りがたい鋭さを感じさせる。ただ立っているだけでも全身から滲み出るその威圧感と存在感に内心気押されながらも、ティアは歓迎の笑顔を浮かべた。

「レオン、よく来てくれた」

「事が事だからな」

 現代の剣神と呼ばれる男―レオンは表情を微動だにさせぬまま答えると、扉を閉めて数歩ティアの方に近づいてきた。

「どこでも適当に座ってくれ」

「このままでいい。それよりも、詳しい話を聞かせろ。使者から大体の説明は受けたが、あれだけでは判断がつかん」

 余分なことは一切せず、最低限の行為だけを要求する。元々、彼は無愛想な性格だったが、今の彼の言動の原因はそれだけではないだろうな、とティアは思った。

 かつての剣神であったリョウは彼の師匠であり、一時は憎んでいたとはいえ、やはり最も尊敬している人物であることに変わりはないだろう。そのリョウの名を語る偽物がいるとなれば、怒りを感じるのは当然であるといえた。もっとも、まだ偽物と決まったわけではないのだが。

「剣神を名乗るファイターに何人もの人間が襲われている。タライムとアイスクルは重傷で、イブリースとレバンは……死んだ」

 「レバンは」の部分で、ティアの声色がわずかに沈む。

 だが、レオンはあえてそれを無視して尋ねた。

「そのファイターの外見は?」

「真紅の鎧を身に付け、炎をまとった長剣を武器にしているらしい」

「グランドブレードじゃないのか?」

 グランドブレードは、かつてリョウが使用していたリーサルウェポンであり、全リーサルウェポンの中でも最優と名高い剣である。リョウ亡き今、グランドブレードを扱えるのはリョウの持つ光のグランドブレードと対をなす闇のグランドブレードを持つレオン以外には存在しないはずであった。

「どうやら違うようだ。奴と戦ったアルサルやタライムの話によれば、その炎をまとった剣はリーサルウェポンではないらしい。奴がグランドブレードを持っているかは今のところ不明だ」

「では、何故そのファイターが剣神リョウだと? ただの自称ではないのだろう?」

「ああ。なんでも、そのファイターは剣神リョウと同じ技を使っていたらしい。さらに、タライムの話によれば、視界を遮ったにもかかわらず正確にこちらの位置を把握したそうだ。オーラの力を感じ取れた剣神なら、不可能なことではない」

 ティアの言葉に、レオンは無表情を保ったまま沈黙する。与えられた情報を一つ一つ頭の中で吟味して消化した後に、レオンは改めて尋ねた。

「確かに、剣神リョウである事を否定する要素はないが、逆に積極的に肯定できる要素もない。他に情報は何かないのか?」

「そうだな……」

 ティアも一度沈黙し、机に頬杖をついて天井に視線を向けると、頭の中で今まで得た情報を整理する。

 そして、しばらくして一つ気になっていた事を思い出した。

「そういえば、アルサルとエミリア、ソロンとアイスクルの四人が奴と戦った時に、奴は自分の血を見て激しく取り乱したらしい」

「血を……?」

 ティアの言葉に、レオンの眉がぴくりと反応した。

「ああ。それも、尋常じゃない程の取り乱しようだったらしい。まぁ、自分が傷つけられた事に対する怒りかもしれないが」

 そう言い終えて、ティアは改めてレオンに視線を向けた。

 ティアとしては、レオンがこの事実を偽物である事の証拠の一つに挙げるのではないかと考えていた。ティア自身はリョウの事をよく知らないが、少なくとも血を見て取り乱すような癖があったとは聞いていない。

 だが、ティアの予想に反してレオンは眉間にしわをよせ、何かに思い悩むような表情でわずかに視線を落とした。

「レオン……?」

 その様子が気になったティアが、レオンに声をかける。

 声をかけられても答えず、しばらく視線を落としていたレオンだったが、やがて視線をティアの方に戻すと尋ねた。

「それで、そいつの行方は掴めているのか?」

「え? いや、今全力で調査中だ。いずれわかるだろうが、もう少し時間がかかる」

「そうか。何かわかったらすぐに連絡をくれ。俺はしばらくここにとどまる」

 それだけ言うと、レオンはティアに背を向け、さっさと扉に向かって歩き出す。「あ、おい……!」とティアはその背中に向かって声をかけたが、レオンはその声に構わず管理局長室から去って行った。

 一人静寂漂う部屋に取り残されたティアは、立ち上がりかけた椅子に座り直すと、先ほどの思い悩むようなレオンの表情を思い出し、ふぅ、と小さく息を吐いた。

「剣神リョウ……まさか、本当に……?」

 

 

「んっ……?」
うつ伏せの状態で地面に倒れていたレインは、小さなうめき声と共に瞼を僅かに開いた。

 瞼は開いているものの、視力はまだ回復していない。

チカチカと暗転する視界の中、レインは手足に力を込める。ピクリ、と指先が反応し、地面の土をなぞるように拳を握りしめると、ゆっくりと両腕の筋肉に熱が伝わってきた。
視力も徐々に回復し、暗転していた視界が色をおびる。
目の前には、見慣れた顔があった。逆立てた燃えるような赤い髪に、同じ色をした瞳。

 いつも強気で自信に満ちた表情だが、今は眉根を寄せて心配そうな顔をしている。

「大丈夫か?」

「カリ……オン……?」
干上がった喉の奥から掠れた声が出る。それを聞いたカリオンは、無言で手元の水筒を手渡してきた。

「ありが……ゲホッ…」
お礼を言おうとしたレインだったが、水分の足りない口内ではうまく舌が回らず、咳き込んでしまう。「いいから飲め」というカリオンの言葉に頷くと、カリオンに助け起こされながら、レインは水筒の水を口に流し込んだ。干上がった喉が潤され、血流を巡って全身に力が行き渡る。

「もう平気。自分で立てるよ」
その言葉に促され、カリオンがレインを支えていた手をゆっくりと離す。少しふらついたものの、レインは両足を踏ん張ってなんとか地面から垂直を保った。

「……ここは?」

「ラムダイル遺跡の入り口だよ」

「いり……ぐち?」
カリオンが親指を立て、肩越しに背後を指差す。振り返ると、確かに遺跡の入り口であった門が見えた。

「そんな……でも、どうして……」

「周りを見てみろ」
そこで、レインは初めて気付いた。

二人の周囲に、ゆうに二十は下らない死体が転がってることを。

「な、なんで……」
あまりに悲惨な光景に、レインが息を飲む。

「恐らく、俺達は幻覚を見ていたんだ」

 カリオンは押し殺したような声で言った。

「幻覚?」

「ああ。考えてもみろ。遺跡の裏に巨大なコロシアムを建造して戦わせるなんて大掛かりな違法ギャンブルが、管理局の目から逃れられるわけがない。しかも、あれだけの観客がいたのに、周囲にはろくな宿泊施設もなし。大体、遺跡があるような土地が誰かの私有地になっている時点で不自然だ」
言われてみればその通りだった。確かに、色々と不自然な点が多すぎる。

「遺跡への侵入を防ぐために誰かがかけた魔法だったんだろうな。入り口に入ると同時に幻覚を見せ、侵入者を眠らせる魔法が」

「じゃあ、この人達は……」
レインの言葉に、カリオンが小さく首を縦に振る。
よくよく見れば、死体には全く外傷はない。おまけに、かなり腐敗の進んでいるものもあれば、まだ死後それほど経過していないと思われるものまで、様々なものがあった。

「……この人達は、まだ見ているのかな。幻覚を」

「さぁな……」
カリオンは興味なさそうにそう言うと、足下に落ちている自分の荷物を拾い上げ、肩に担いだ。

「こいつらは帰りに弔ってやろう。遺跡に入ってから何日たったかわからないが、余計な時間を食っちまった。取り合えず中にあるのも先に拝見しようぜ」
そう言って、カリオンはレインの横を通り過ぎると、遺跡の奥に歩を進めようとする。

「ねぇ、カリオン」

 その背中に向かって、レインは尋ねた。

「私達が最後に見たあれも、幻覚だったのかな?」

 カリオンの足が、ピタリと止まる。

 レインには、カリオンも同じものを見たという予感があった。

 想い人の最期の言葉を伝えた、あの白い世界を。

 その質問に、カリオンは答えない。

 そして、たっぷり十秒も経って、

「知らねぇよ、そんなもん」

 レインに背中を向けたまま、一言だけ告げる。

「重要なのは、本物かどうかじゃない。あの言葉を俺達がどう受け取るか、だろ?」

そして、カリオンは再び歩き出す。

 あの言葉を受け取ったからこそ、カリオンは立ち止まらない。

 今ある困難に立ち向かうために、ただ、前に進んでいく。

 そして、それは彼女も同じだった。

 レインは小走りにカリオンの後を追うと、その横に並ぶ。

 二人は並んで、同じ困難に立ち向かうために、ただ、前に進んでいく。

 

 

 ラムダイル遺跡は遺跡としては小規模であり、全体的な面積はそれほど大きくはない。魔法で守られていたおかげだろう。中には人が踏み込んだ形跡はなく、狭い石造り

の通路には灯りの一つもない。レインが魔法で手の平サイズの火の玉を構築し、その灯りを頼りに二人は歩き続けた。

 道はずっと一本道で、迷う事もない。十分も経つと、二人は遺跡の最奥にたどり着いた。

 遺跡の最奥は、人がゆうに一〇〇人は入れそうな広間になっていた。壁に沿って作られた広間をぐるりと一周する棚には、多くの偶像や装飾品が置かれている。ところど

ころの壁には錆びついた剣や盾などもかけられていた。この遺跡に眠る者を守るために置かれたものであろうか。

 だが、レインがもっとも目を引かれたのは、それらの品々ではなかった。

「すげぇな……」

 考古学に詳しくないカリオンも、思わず感嘆の呟きを洩らす。

 広間の最も奥にある高さも幅も十メートルは越える大きな壁には、巨大な壁画が描かれていた。何百年、あるいは何千年前に描かれたにもかかわらず、壁画は未だ色彩を

失わず、灯りに照らされてその壮大な様を二人に見せつける。

「人が踏み込んでいないだけあって、保存状態も良好ね」

 壁画に近づき、その状態を観察したレインが呟く。

 カリオンは少し遠くからその壁画全体を眺めた。

 壁画は、右と左で大きく構成が分かれている。

左側には多くの人間達が描かれ、祈りを捧げるように跪いたり、天を指さしたりしていた。人々の視線の先にいるのは、天に浮かぶ一人の騎士。両手に漆黒の剣を持ち、背中から天使のように純白の翼を生やした騎士だ。

 対する右側にいるのは、黒い身体に金の目を爛々と輝かせる悪魔。両手の先に生えた鋭い爪の切先を天に浮かぶ騎士へと向け、凶悪な笑みを口元に湛えていた。

「天使と悪魔の戦いか? 確か、この遺跡はアルマンシアと関連性が強いんだよな?」

「そうみたい。恐らく、アルマンシアの伝承に関連するものね」

 レインが虫眼鏡のようなもので壁画を細かく調べながら答える。考古学など完全に専門外のカリオンには、レインが何をしているのかも全くわからない。仕方なしに、カリオンはもう一度壁画をぼうっと眺めた。

 壁画に描かれた天使と悪魔の戦い。これが、アルマンシア大陸で起きた爆発事故と何か関係があるのだろうか。

 二つにつながりがないかどうか少し考えてみるが、イマイチ思い浮かばない。今現在、天使も悪魔もアルマンシア大陸に現れちゃいないのだ。

「レイン、何か手掛かりになりそうなものはあったか?」

 壁画を眺めるのにも飽きてきたカリオンが、何やらカバンから取り出した資料を見ているレインに再び尋ねる。

「……ううん。今のところ、大したものは」

 落胆した表情で、レインが言う。

「そうか。とりあえず、一度外に出てティアさんと連絡を取ろうぜ。新しい情報が入ってるかもしれねぇし。それからまたもう一度見に来ればいいじゃねぇか」

「そうね……」

 カリオンの言葉に一理あると考えたレインは、資料をカバンの中にしまう。そして、もう一度壁画に目を向け、

「待って!」

 広間を出ようとするカリオンの背中を呼び止めた。

 呼びかけられたカリオンが振り返る。レインは再び虫眼鏡のようなものをカバンから取り出すと、壁画に近づいて行った。カリオンも合わせて壁画に近づいていく。

「どうした?」

「何か文字が書いてある」

 レインが指さしたのは、右側に描かれた悪魔のような者の少し下だった。よくよく目を凝らすと、確かに文字のようなものが描かれている。

「読めるのか?」

「ちょっと待って」

 レインは再びカバンに手を突っ込むと、中から少し分厚い本を取り出し、ペラペラとページをめくる。どうやら、辞書のようなものらしい。そのカバンからは何でも出てくるな、とカリオンがひそかに感心していると、

「あった」

 とあるページで、レインの手が止まる。どうやら、該当する言語を探し当てたようだ。

 さらにペラペラとページをめくり、一文字ずつ照らし合わせていく。

「で、なんて書いてあるんだ?」

 辞書をめくるレインの手が止まったのを見て、カリオンが問う。

 レインは辞書から顔を上げると、首だけカリオンの方に振り返って答えた。

「魔獣、シリア」

 

第31話 終