第32話「迷いなき者達」

 

  レオンが管理局を訪れてから三日目の朝、アルサル、エミリア、ソロン、アイスクル、ダン、レオンの六人は、セントラルタワーにある管理局長室に集められていた。
「朝早くからすまないな」
 管理局長の椅子に座るティアが、目の前に横一列に並ぶ六人に言う。
「皆を呼び出したのは他でもない。今朝、真紅の騎士の居場所が判明したとの連絡が入った」
 その言葉に、六人の表情が引き締まる。

「それで、その居場所は?」
 レオンが真っ先にティアに尋ねた。
「詳しい報告はまだ私も受けていないんだ。今、報告を担当するアルスティンがこちらに向かって……」
 ティアがそう言いかけた時、管理局長室の扉が控え目にニ、三度ノックされた。ついで、扉の向こうからしわがれた声が聞こえてくる。
「アルスティンでございます」
「ああ、入ってくれ」
 失礼致します、と言って、少し背中の曲がった白髪の老人が部屋に入ってくる。ティアを含めた七人の視線が、一斉にこの老人に注がれた。
「真紅の騎士に関する報告ですが……」
 その視線に動じることもなく、アルスティンは左手に持った資料を見ながら、右手でくいっと片眼鏡を上げ、ピントをととのえる。
「昨日、西方の町イルノトで目撃したとの情報があったようです」
「イルノトで? 場所は?」
「港のようでございます。イルノトからはアルマンシア大陸への定期便がございますから。恐らく……」
「アルマンシアに向かったか」
 ティアの言葉に、アルスティンが静かに頷く。
「ならば、すぐにアルマンシアに向かうべきだろう」
 二人の会話を聞き終えたレオンが言う。
「しかし、一口にアルマンシアといってもかなり広い。アルマンシアのどこにいるのか、もう少し調査を進めてからの方が……」
 レオンの提案に、ティアは眉間にしわを寄せて難色を示した。真紅の騎士に何度も煮え湯を飲まされたティアとしては、必勝をきして当たりたい。
 だが、レオンは強い調子で続けた。
「その調査に一体何日かかる? その間に、また新たな犠牲者が出ないとは限らんのだぞ」
「俺も同意見だ」
 それまで沈黙を保っていたアイスクルも、レオンに同調した。
「もたもたしていると、奴がアルマンシアから出てしまう可能性もある。ここは積極的に動くところだろう」
「……確かにその通りだ。だが……」
 ティアは視線を机に落とし、唇を噛む。
 確かに、迷っている場合ではない。今こうしている間にも、真紅の騎士が新たな標的を探しているかもしれないのだ。
 だが、真紅の騎士には既に二度も敗北を喫している。特に、二度目の戦いでは圧倒的に優位な状況を作り出したにもかかわらず、だ。
 幸いにも死者は出なかったが、一歩間違えば出ていてもおかしくはなかった。

 もしかしたら、今度こそ――

 ティアの考えている事は、他の六人も考えていた事だった。
 管理局長室を重苦しい沈黙が包む。
「ティア」
 その沈黙を破ったのは、アルサルだった。
「君が慎重になるのも無理はないと思う。奴の力は圧倒的だ。それは、直接戦った俺達が一番よくわかってる。奴相手には必勝の策なんてない。けど、奴の力を知っている俺達だからこそ、勝機があるんだ。頼む、俺達に任せてくれないか?」
 その言葉に、ティアは顔を上げると六人の顔を見渡した。
 六人の合わせて一二の瞳が、こちらに向けられる。

 その瞳に、一切の迷いはない。

 ただ、自分達のすべき事をなすだけ。
 そんな強い意思の込められた瞳に見つめられ、ティアは目を閉じて一つ大きく息をつくと、改めて六人を見た。
 その瞳には、もう先程のような迷いの色はない。

「わかった。君達を信じよう」
 何か吹っ切れたようなティアの表情に、アルスティンも満足げな笑みを浮かべる。
「そうと決まれば、善は急げだ。早速今日の午後に出発して欲しい。足はこちらで用意しよう」
 ティアがそう言って、アルスティンに目配せする。アルスティンは静かに頷いた。
「ちょっと待ってくれ」
 だが、それに対して今度はソロンが声をあげる。

「どうした? ソロンは反対か?」
「いや、アルマンシアに向かうのは賛成だ。だが、俺達はアルマンシアの事をよく知らない。案内人が必要だ。タライムも同行してもらった方がいい」
「でも、タライムはまだケガが……」
 エミリアが心配そうな顔で言う。
「別に戦ってもらおうというわけじゃない。あくまで案内人だ。アルマンシアの土地勘もあり、なおかつ経験も豊富なあいつが適任だろう」
 戦わないなら、とエミリアも賛同する。
 他の者達も、特に異議を挟まなかった。
 だが、
「いや、それは無理だ」
 その提案に、ティアは小さく首を横に振った。
 予想外の答えに、ソロンが眉をひそめる。
「何故だ? タライムのケガは順調に回復していると聞いている。案内くらい出来るだろう?」
 他の者達も同じ疑問を持ったようで、問いかけるような視線をティアに向ける。
 ティアは両肘を机について顔の前で両手を組み、目を閉じた。そのまま数秒ほどじっとしていたが、やがて目を開けると、重い口を開いた。
「やはり、皆には話しておいた方がいいだろうな」
 管理局長室が再び静寂に包まれる。ティアは意を決するように一つ息をつき、
「タライムは――」


 コルム大陸管理局の東塔内には、コルム大陸でも有数の設備を備えた病院が設置されている。治療費を払えない者達に格安で医療を施し、また、他の病院の施設では満足な治療を受けられない重傷者に適切な治療を施すことがその目的だ。後者に属するタライムも、この病院に入院している。
 その東塔の屋上には、一人の少女がいた。
 抜けるような青空の下、やや強い陽射しが少女に降り注ぐ。屋上には物干し竿がところ狭しと並べられ、患者の衣服やベッドのシーツが数多く干されていた。
 少女は転落防止用の手すりに背中を預け、虚ろな目を青空に向ける。
 屋上に吹く柔らかな風が、少女の紫に近いブロンドの髪をなびかせ、太陽光を反射してキラキラと流麗な輝きを放つ。
 少女はなびいた髪を右手で押さえると、物憂げな表情で小さなため息を漏らした。
「ここにいたのか、レオナさん」
 すると、物干し竿の影から白衣を着た男がひょっこりと顔を出した。
 特に美男子というわけではないが、優しそうな顔立ちに愛嬌のある笑顔を浮かべている。タライムの担当を務めるルーファという医者だった。
 レオナ自身はよく知らないが、かつては一度対立した事もあるらしく、良くも悪くもタライムとは因縁浅からぬ間柄のようだ。

「ここ最近、病室に姿がなかったもんだから。ちょっと様子を見に、ね」

 レオナの傍までやって来たルーファが「隣いい?」と尋ねる。レオナが無言で頷くと、ルーファは彼女のすぐ隣に立った。手すりを両手で掴むと、眼下に広がるルディロスの街並みを、目を細めて見つめる。

「タライムは、なんて?」

 しばらくの沈黙の後、ルーファが先に口を開いた。

「……別れようって。もう、私を守りきる自信がないから」

 屋上に吹き抜ける風の音にかき消されそうなほどか細い声で、レオナが答える。

 そう、とルーファは短い返事を返した。二人の間に再び沈黙が訪れる。

「それで、どうするの?」

 その沈黙を破ったのは、やはりルーファの方だった。

「どうするって……?」

「別れるの?」

 眉一つ動かさず、ルーファは明確な回答を求めた。

  単刀直入な質問に、レオナが思わず絶句する。だが、ルーファは回答の保留を許さない。レオナの両目を正面から見据えて、決して目をそらさず、答えを待つ。

 その意思が伝わったのだろう。レオナも目をそらさずに、はっきりと答えた。

「わからないんです」

 何が、とルーファが問う。

「今までの旅の中でも、危険な場面は何度もありました。でも、タライムさんは一度も弱音なんて吐いたことはなかった。それなのに、今回は急に弱気になって……。確かに、今までの旅の中で今回ほど危険な場面に遭遇した事はありませんでした。でも、だからといって、タライムさんが本心であんなことを言うなんて、私には思えないんです」

 彼に助けられ、彼と共に歩んできた五年間。その五年間は、それまで地下室で閉じ込められてきたレオナにとって、人生の全てであるといっても過言ではなかった。

 タライムと過ごした時間は、自分にとって人生そのもの。

 だからこそ、彼女は思う。

「タライムさんは、私に何かを隠してる。私は、それが何かを知りたいんです。でも、タライムさんが私に何かを隠すのは、きっと私を傷つけないようにするため。だからこそ、どうしたらいいのかわからないんです。もし、タライムさんにそのことを尋ねたら、私は彼の気持ちを踏みにじることになるから……」

 彼女のわからないとは、そういうこと。

 

 ルーファの質問の答えなど、初めから決まっていた。

 

 その覚悟を、その想いの強さを知り、ルーファは決意を固めた。

 たとえ彼の優しさを踏みにじったとしても、たとえ彼に恨まれることになっても。

 彼女に、真実を告げなければならない。

「レオナさん」

 その声色から何かを感じ取ったのか、レオナの表情が険しくなる。ルーファは一つ息をついて、告げた。

 

「彼はもう、自分の足で立つことはない」

 

 世界が静止したかのように、レオナの表情凍りついた。それでも、医者として、ルーファは言葉を続ける。

「下半身不随だ。神経信号が完全に途切れてしまっているから、回復魔法でも治りようがないし、義足も機能しない。一生車いすの上で生活することになる。今後、上半身に何らかの後遺症があらわれる可能性もあるし、内臓のいくつかも取り除いたから、食事も制限される。はっきり言って、一人で日常生活を送るのは難しい」

 ルーファが説明を続ける間、レオナは息をすることさえ忘れていた。

 世界中を旅してまわり、それを生きがいにしてきたタライム。その彼が、残りの一生を全て車いすの上で過ごさなければならない。

 それを知った彼の苦痛と絶望は、一体どれほどのものだったのか。

「彼が今後生活するには、介護が必要だ。それも、ほとんど一日中。彼がこの事実を君に隠したのは、恐らくその介護の役目を君に負わせたくなかったからだろう。君はまだ若い。これからの一生を自分の介護に捧げさせるのは、彼にとって耐えがたい苦痛だろう」

 ルーファの言葉は耳に入っていたが、彼女の頭はそれを処理出来てはいなかった。

 告げられた真実に、まだ感情が追い付いていない。

「君が今後もタライムと一緒に過ごすなら、彼を介護しなくてはならない。介護は普通の人が考えるよりずっと大変だし、君が介護を引き受けることが本当にタライムの幸せにつながるのか、僕にもわからない。医者として僕が言えるのは、後悔のないようにきちんと覚悟をもって結論を出してほしいということだけだ。途中で介護を投げだされてはたまらないからね」

 それじゃ、と短く別れを告げて、ルーファが屋上を去っていく。

 屋上に残ったレオナは、手すりによりかかっていた身体をゆっくりと反転させ、ルディロスの街並みに目を向ける。

 いつの間にか日は傾き始め、街並みがオレンジ色に染まっていく。それを見つめるレオナの瞳からこぼれる滴が、柔らかい夕陽を受けて淡く輝いた。

 

第32話 終